59歳で始めて約1年半の勉強期間で合格!
「最短の地図と自転車は用意しますので漕いでください」
という先生の言葉は真実だった。
はじめに
受験を決意したのは59歳の11月でした。あまり深く考えずに半年ほど独学で勉強して行政書士の試験を受けましたが、結局最後まで「わかった」と深く実感できるようなところまで理解が至っておらず、試験の手ごたえもなく、さりとて更に行政書士の勉強をしたいという気持ちにも、答え合わせをする気にすらなれず、試験ハイになった頭のままで、帰り道にもらったたくさんのパンフレットを見ているうちに、今度はちゃんと勉強して(理解できたうえで)司法書士試験を受けたい、という気持ちになりました。「ネットの受講は(情弱なので)ムリ」という個人的な事情があったため、その時期からの受講で来年合格を目指すことが出来、しかもDVD講座がある、という条件をクリアした辰已の講座に決めました。
私のとった勉強方法
フルタイムではありませんでしたが、週四日アルバイトに行っていました。椎間板ヘルニアでじっと座っていることもきつく、ド近眼の老眼で目も疲れるので、特に最初の頃はDVDの一回の講義を何分割にしたか分からないほど区切って視聴しました。リアルの授業では、とても無理だったと思います。
全体の範囲が膨大なので本当に間に合うのだろうか、と心配にもなりましたが、とにかく松本先生の講義の説明や、その時何をするべきか、というご指示が細かいので、夢中でそれを追いかけているうちに学習の流れに入っていったという感じです。講座の中でされる、具体的な先生ご自身や受講生のエピソードも興味深かったのですが、もはや同級生たちが老後について考え始めている私にとって「予備校」「全国の受験生」「上位合格者」などという単語を「わがこととして」聞くこと自体、わくわくするほど楽しいことでした。
とはいえ、とにかく年齢的にぐずぐずしている時間はありません。受験は家族以外の誰にも言っていなかったので、ありがたいお誘いもジャンジャン来ましたが、ほぼ全部断り、メールや電話すら、「いかに話を弾ませないか」に知恵を絞ったつまらないやり取りを心掛けました。この年で失う(かも知れない)人間関係がどれほど大事なものか、恐ろしいほどわかっていたのでテレビの下に「落ちたらシャレにならない」と書いた紙を貼って、この期に及んでテレビごときに時間をつかわないよう心掛けました。
択一対策は、とにかく先生の言われる通り、テキストをひたすら読みました。過去問は、最初のうちは全く解けないものばかりでしたが、気にする暇もなく、指示された通り、先に進んでいったという感じです。
先生が講義で説明されたこと、また、テキストで説明されたことが、ずいぶんあとになってから「そういうことだった」とわかることはよくあるのですが、私の場合、特に印象に残っているのは「問題を間違えたとき、次は間違えないようにしよう、なんていう心がけでは全然足りない」というような趣旨の言葉です。最初に聞いたときには、普通に聞き流してしまったのですが、過去問を何回か繰り返し解くようになると、正答を見て反省した筈なのに笑えるくらい同じ思考で同じ間違いをするのです。ああ、これだ、とその時初めてわかりました。「書く」のは現代の学習で推奨されていないのはわかっていましたが、私にとっては手っ取り早く頭に入るので、数回間違えたものは正しい肢を書いた紙の束を作り、電車の中や職場や美容院、病院の待合室などで繰り返し覚えました。また混同しがちなものは、自分なりのフックを作らなければ引っかからない、と思い、例えば略式と簡易なら、「りゃきゅう(9)しき」、と「簡易(の易は5に似てる)」、とか、社外監査役と社外取締役の数だったら「蚊取(取締役は過半数)」「反感(監査役は半数)」など、自分なりにありとあらゆる語呂合わせを作ってフックだらけにしました。
講座が記述に突入した時には、通しの一回目は(第一問、ではありません。全部の問題の一回目です)、ほぼ何を説明されているのかもわからない状態で途方にくれましたが、DVD を見直しながら、何回も解いているうちに、何となくわかるようになりました。何ができた時より、自分で記述の問題が解けるようになった時が、受験生活の中で一番感動したときでした。択一の問題に答えることは誰でもできることですが、記述の解答用紙を埋めることって、絶対素人にはできません。そのうちに、職場でイヤなことがあると、空いた時間にストレス解消に記述の問題を解くようになりました(その時はちょっと「ドヤ」の顔だったと思います)。
試験の延期
コロナウィルスの流行で、アルバイトが約二か月休みになったので、チャンス、と思いました。毎日休みでも、体力体調に限界があり、一日に勉強できる時間が10時間を超えるのは無理でしたが、その限られた時間を一番集中して勉強できるように生活全体を整え、やる値打ちがないと思うことはどんどん省いて行きました。その頃から漢字を忘れる、使い捨てのコンタクトの扱いに失敗する、など普通のことが出来なくなることが頻発しました。もう限界まで頭を使っていたのだと思います。この時点で解けるようになったとはいえ、記述の指示ですらどうしても頭に入って来ずに大失敗することもままあった状況なので、松本先生のご指示とはいえ、解く順番、とか、解く時間の管理、とか、実際の試験の戦略的なこと(先生は、あてずっぽうで択一を答えるなら統計的には〇番の正答率が高い、ということまで網羅されているのです)はもはや私には無理でした。
それでも受かる気満々で、のちに出版する合格体験記の題名は『共有者全員持分全部移転』にしよう、なんてノンキなことを考えて受験したのですが、不合格でした。記述に入った途端、頭が真っ白になって、トイレに立ったり飲み物を飲んで平常心を取り戻そうとしても、何もわからなくなってしまったのです。本物の試験の恐ろしさを目の当たりにした経験でした。結果的に9・5点も足りなかったという堂々の不合格で、0・5点足らなかった人に比べたらどれほど惜しくない不合格でマシだったか、と気持ちを切り替えました。
今年度の試験に向けての勉強
目も極限まで疲れ、毎朝、「寝ている間にトラックにはねられた?」と思うような体調だし、この年でこれ以上貴重な人生の時間をつぎ込んでいいものか、と一瞬だけ怯みました。けれども択一の基準点は取れていたので、勉強法の基本路線は間違えていないと思いなおしました。(落ちたくせに)合格できる力が自分にないとも、どうしても思えませんでした。またしても、「落ちたらシャレにならない」の貼り紙はしましたが、今回のテーマは「10回受けて10回受かるだけの実力をつければ絶対に受かる」ということに設定して次の試験に向けてまた勉強を始めました。
もともと、勉強法の本、速読の本、視力回復の本などを読むのが大好きで試験勉強を始める前から併せると数十冊読んだと思います。中でも効果の感じられた速読の本、視力回復の本を毎朝、最初に眺める習慣にし、また勉強法の中では25分タイマーをかけて勉強する、というのが、根気も体力も衰えている私には最適なので、この時期からはそれを取り入れました。やり方は、百均でも売っているキッチンタイマーを25分にセットして25分間は集中して勉強し、終わったら5分休憩してまた25分勉強を繰り返す、というものです。速読の効果があるはずだ、という思い込みも相まってのものかもしれませんが、25分というのは、みっちりやればかなり長く、相当のこと(記述の一問くらい)が出来ます。合間の5分も、本来は目を閉じたりして休むべき時間のようですが、つい食事の下ごしらえや洗濯物干しなど、家事に手を出してしまえば、それもそれなりの作業が出来る時間であること
がわかります。最後まで試験の時間配分戦略をあらかじめ頭に入れるのは無理でしたが、自分にとっての5分、25分がどれくらいの長さかは身体にしみこんでいたので、試験時間が足りなくなることが自分にはないことはわかっていました。やる気が起きず、たった25分の間にも、「まだ時間が経たない?」とタイマーをチェックすることもよくありましたが、「とりあえずこの25分は頑張ってクリアしよう」という程度のハードルなら高くもないので、騙し騙し続けられたという感じです。毎日、日付と、何時から何時まで何単位やったかを記録して合計も記したので、前日より少なければ、あと一単位だけ頑張ろう、というようなモチベーション維持にも使いました。
前年度のDVDはもう見直さなかったので、その分だけ時間に余裕が出来、とにかくテキストを見ること中心で、記述と過去問は、一日に3単位ずつくらい入れる程度でした。テキストは最終的にはそれぞれ30~40回くらいは見たと思います。勉強し始めの頃は、こんなにたくさんやり切れるか?と試験範囲の膨大さに不安でしたが、今年度の直前期には、毎日テキスト漬けで「無人島に行くなら不登法 II と行くか、会社法 II と行く?」とぼんやり夢想するような状態だったので、狐に化かされてずっと同じテキストを見てるのでは?と時々別の不安に襲われるほど試験範囲が狭く感じられるようになりました。
模試について
前年度、今年度の試験ともに、辰已の複数回の模試の他、他の二つの予備校の模試もそれぞれ複数回受験しました。前年度には、コロナで延びた試験までの期間を埋め合わせようと追加で申し込んだ辰已の模試が、その年既に受けた模試と全く同一のものだった、という痛恨のミスを犯し、さらなるポンコツぶりは、そのことに松本先生の解説DVDを観るまで気がつかなかったことでした。その、二度目の同じ模試も含め(!)二年間に受けた沢山の模試のうち、合格判定をもらったことは、未だかつて、ただの一度もありませんでした。けれども、予備校の模試は育ちが悪いから聞かれたくないことを聞くものだけれど、本試験は育ちがいいから育ちのいい(=リアリスティックテキストで学んでいる)私なら相性がいいはず、と確信して、気持ちが揺らぐことはありませんでした。
本試験の日
もう、次の年はない、と思っていたので試験のひと月以上前から秒読みするような緊張感の中で毎日を過ごしました。あまりに緊張して何も手につかなくなったので、試験前夜には翌日の自分に向けて「テンパって、これまでの苦労を無駄にしたら絶対に絶対に許さない」というメッセージを書きました。翌日の試験会場にもこの紙を持参して、試験前や昼休みに何度も読み、自分には、人並に緊張して失敗したりする贅沢なんて絶対許されないのだと、とことん言い聞かせました。直前チェック用のプリントを持っていくより、これは私には一番効果があった方法だったと思います。
最後に
先生の講座のパンフレットに、たしか、「最短の地図と自転車は用意しますので漕いでください」というような、素晴らしい言葉が書いてあったと思います。実際に受講してみたら、それは真実で、「条文は私が全部見ましたから大丈夫です」なんてさらっとおっしゃるので、ポケット六法さえ一度も参照せずにゴールにたどり着くことが出来ました。ただ、付け加えるとしたら、出発前に自転車のブレーキは叩き壊し、不調な時も好調な時も、とにかく停まることは考えずにひた走ることだけは必要だと思います。
ある程度の年代になると、落ち着いて勉強し続けられる体調、メンタル、環境を維持するのは本当に困難ですが、逆に言えば、フェアで、(少なくとも試験レベルでは)正解のある世界に身を置こうとすることが、どれほど自分を励ましてくれただろうか、と今感謝とともに考えています。
こんな私でも合格したのだから、皆さんも絶対大丈夫です。